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感想

感想を書きました

阿部共実『ちーちゃんはちょっと足りない』

小さい頃から読書感想文を書くのは得意でした。いい文章を書くことではなく、定められた字数を書いて提出することが、です。

周りには読書感想文を苦手とする人が多くいました。大抵そういう人は題材にする本の選び方が下手でした。

感想文の書きやすい本には、ただおもしろいだけでも感動するだけでもなく、うまく言えませんが、ちょうどいい余白があります。その余白を自分なりに埋めたものを感想文にすれば簡単に800字くらいは書けました。

 

 

さて、『ちーちゃんはちょっと足りない』に関してですが、この漫画はかなり感想文が書きづらいと感じています。書きづらいわりに、今、読んで感じたことをなにか形にしないともやもやして仕方ない気持ちにさせられています。

余白は十分にあります。ただおもしろいだけでも、感動したり悲しんだりするだけでもない漫画なのに、書けない。

 

なぜ書けないか、理由はうっすらわかります。この漫画はあまりに読み手の感情の奥にある薄暗く湿った部分に迫るために、自分に引きつけずに読むことがほとんど不可能だからです。

 

"ケニーは過度に興奮する子供で、何を読んでも自分に関わる意味を読み取ってしまう。そして、文学を成り立たせているほかのすべてのことを無視してしまう"
( フィリップ・ロス『ダイング・アニマル』)

 

「自分に引きつけて読む」ことは、文学に限らず、ある作品を読んだり観たり聴いたりしたときに受け手が取る態度として不純なものだと思います。

結局、そうして受け取ったものは自分の感情の引き出しの中にもともとあったものでしかない。自分の中にある、その作品のエッセンスに似た物を取り出して、勝手に感動したり悲しんだりすることは、果たしてその作品に触れたと言えるでしょうか。

前回こだまさんの過激さに関して書いたことと少し被りますが、「自分に引きつけて読む」ことは、人を勝手にカテゴライズすることに近い横暴さがあります。しかし、『ちーちゃんはちょっと足りない』を読んで、確実に自分が持っているのにほとんど忘れている、もしくは忘れようとしている引き出しを思いっきり開けられました。それが開いた時点で、不純な態度をとり、横暴な感想を書く以外の方法がなくなってしまいました。

 

中学二年生のナツは、いつも一緒にいるちーちゃんと自分を指して「足りない」と嘆く。人に比べて足りないものを並べ立てて、自分は底辺だ、クズだと悲観します。

この漫画は当時相当な話題になり、共感する人が続出した( らしい )のですが、自分は底辺だ、クズだという気持ちに共感する人の多さに救われ、同時にまんまと共感してしまった自分が凡庸であることに気づかされて嫌気が差します。

自分もナツと同じだ、自分こそがナツの理解者だと思わされた時、共感を由来にした安堵と自己嫌悪が入り混じって、食べ合わせの悪い物を同時に口に入れた時のようないやな気持ちになります。

この漫画を読んだ多くの人もそう思っているとしたら、みんな底辺でもクズでもなく、それぞれそれなりにいいところがあるはずなのですが、そんなことは個人の問題には関係のないことだから、みんな自分自身の卑しさのために悩んでいるのだと思います。

 

さて、この漫画では残酷なほどナツのいいところは描かれません。全く描写がないわけではないのですが、ナツがちーちゃんの世話を焼いたり、いつも一緒にいたりすることを、純粋な好意として描いてくれていないのです。

「足りない」自覚のあるナツから見てもちーちゃんは「足りない」存在だったので、ちーちゃんといる間は劣等感を抱かずに済むから、ナツはちーちゃんと一緒にいる、なんて嫌な見方もできます。

むしろ、そういう見方ができるように仕組まれている。ナツがそのことに自覚があるのにないふりをしている様が伝わってきてしまう。

 

人に優しくしたりして、それが所詮自己満足であることに気づいた時、どうにもならない嫌な気持ちになります。好意はただ好意であることは稀で、常に儀礼や打算に汚されているものです。みんなそれに気づいているのに気づかないふりをして生活するしかない。せっかく気づかないふりをしてきたのに、この漫画にその事実を目の前に突きつけられました。特にクライマックスのナツの台詞が相当にキツいんですが、ここで引用しても伝えられるわけがないので引用しません。

 

タイトルにもある「足りない」という言葉はこの漫画のキーワードなのですが、自意識の無根拠な不満を表す言葉としてかなり適切だと思います。

物語の筋だけ追ったら、ナツの身にはほとんど何も起きていません。でも、足りないし、自分はクズだと思うし、"あーあ、つまんない   自殺でもしようかな"と思うし、"未来がせまいよ"とも思う。女子中学生の取るに足らないセンチメンタルと言ってしまえばそれまでになる問題が、読み手の感情の引き出しの、まだ誰も開けなかった部分を開けてくる。

 

誰もが共感できる漫画なのかはわかりませんが、少なくとも僕は共感したし、共感しない人よりする人の方を好きだと思います。それも多分、純粋な好意ではなく、くだらない同族意識でしかないのです。そう思わされるのも、この漫画のせいです。

おもしろかったです。読まなきゃよかった。

 

 

『ちーちゃんはちょっと足りない』を読んで - ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ

乗代雄介が書いた『ちーちゃんはちょっと足りない』の感想です。全く自分に引きつけずに読み、感想を書いています。こんな感想文があったら、もう誰も感想なんか書く必要がなくなるくらいすごいです。

現代の小説家や過去の文豪を見渡しても、乗代雄介ほど、読み、書くということにこんなに真摯に向き合っている人を他に知りません。僕の知識不足なだけかも知れませんが、今はとにかくそう思います。