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感想

感想を書きました

世阿弥『風姿花伝』1

大体の人が中学や高校の授業で習う、あの世阿弥です。能を大成したといわれるあの人です。風姿花伝といえば「秘すれば花」という言葉がかなり有名で、そのあたりは知っている人も多いのではないかと思います。

 

"およそ、家を守り、芸を重んずるによつて、亡父の申し置きし事どもを、心底にさしはさみて、大概を録する所、世のそしりを忘れて、道のすたれん事を思ふによりて、まつたく他人の才学に及ぼさんとにはあらず。ただ子孫の庭訓を残すのみなり。"

(『風姿花伝第三  問答条々』)

 

風姿花伝の結びの言葉です。父である観阿弥から受け継いだことを子孫に残すために「世のそしりを忘れて」記した、という事が書かれてありますが、執筆当時、すでに観阿弥の死から十七年経っており、世阿弥は時の太政大臣足利義満の寵愛を最も受ける役者であったことからも、風姿花伝の内容は観阿弥から受け継いだものというより、天下に許しを得たという自覚から記された、世阿弥の発明に属するということが一般的な見方になっています。

 

 さて、内容に関してですが、生涯を通じて稽古をする上で、その時期によって為すべきことを記した『年来稽古条々』、役柄に合わせての演技のあり様を具体的に述べた『物学条々』、台本の書き方や棟梁としてのあり方、香盤の組み方に至るまでの様々な事項を深く掘り下げた『問答条々』『花修』など、かなり多岐にわたっています。

なので、ところどころピックアップして感想を書こうと思います。

 

まずは、『年来稽古条々』から、『十七八より』という項について書きます。

 

" この頃は、また、あまりの大事にて、稽古多からず。まづ、声変わりぬれば、第一の花失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし頃の、声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手立はたと変わりぬれば、気を失ふ。"

 (『風姿花伝第一  年来稽古条々』)

 

数えで17、8歳の頃についてなので、今で言うところの15〜7歳くらいのことを言っています。声変わりを過ぎ、背も伸び、大人に近い姿に変わったことで、姿の美しさや可愛らしさを失い、今までのやり方が通用しなくなり、「気を失ふ ( やる気がなくなってしまう ) 」ことを言っています。

あまりに大変な時期なので、やれる稽古の種類は多くないということですが、ではどうすればいいのでしょうか。

その解決策を次のように述べています。

 

"指をさして人に笑はるるとも、それをばかへりみず、(中略) 心中には願力を起こして、一期の境ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。"

(『風姿花伝第一  年来稽古条々』)

 

幼い時分にはあった華を失い、思うように演技が出来なくなった時にするべきことは至ってシンプルでした。

他人の目を気にせず、「心中には願力を起こして」、ここが人生の分け目と思い、一生能を捨てないという覚悟でやるしかない。「能は止まるべし」という記述から、ここでの「能」とは芸能の種類としてではなく、能の真髄に迫る道程を示す言葉だと思われます。

現代の子役もそうですが、子供であるということは、それだけで価値のあるものとして扱われます。子供の華とは、技術によって得たものではなく、先天的に持っているものの純度が ( それ以外のものを得ていないから ) 高いために天才のように見えることです。

15〜7歳になるまでにそれを失い、先天的なものではなくて、生まれてきてから何をやってきたか、という部分が実力に大きく関わってきた時、ほとんどの人は、自分は天才ではないことを思い知るでしょう。

その上で、「能を捨てぬ」しかない。ただ漫然と続けるのではなく、例え報われなくても、その道の真髄にたどり着くための営みを止めてはならない。

 

メイプル超合金カズレーザーはインタビューで芸人として売れることを「宝くじみたいなもの」とした上でこう言います。

 

" でも、実は宝くじ売り場自体に並んでいない人がすごく多い。宝くじ売り場がどこにあるのかがわかっていないんです。宝くじを買ってもいないのに、当たるかどうか待っている人たちがあまりにもいます。売れるために最低限必要な要素はあると思うんです。"

http://toyokeizai.net/articles/-/153921

 

売れるためには、お笑いをやめないことは当たり前ですが、その上で、売れるために必要なことを続けないといけない。何が売れるのか、「宝くじ売り場」がどこにあるのか探し続け、宝くじを買い続けるしかない。それをしなければ、芸道を歩んでいるとは言えない。

このことは、『十七八より』で世阿弥が論じたことと共通するように思えます。自分は天才ではないと実感した時に、「一期の境ここなり」と思い詰め、報われるかどうかを度外視して、必要なことをやりつづける覚悟を持つことが、芸道を歩むということなのだと思います。

続きます。